三月十九日
昨日のクレパスで描いたスタートのスケッチの後に描いたプランにひき続き、断面スケッチをする。傾斜地を想定し、そこに土型枠の大きなシェルターを考える。明らかに、猪苗代の「時間の倉庫」のサイトイメージがベースになっている。北海道音更町「水の神殿」はフラットな土地に土型枠のシェルターを架けたのだけれど、それを更に大掛かりに傾斜地へと適用してみる事にしたのである。
コルビュジエのラトゥレットの僧院がサヴォア邸よりも、はるかに複雑で高度な建築になり得ているのは、その土地が傾斜しているからだ。
土地の固有性を見事に生かした空間の普遍を生みだしたからである。
「時間の倉庫」では傾斜地の特性は内部の巨大な螺旋スロープによって生かされている。このプロジェクトではそれを更に抽象化しようとしている。
内部に純然たる幾何学立体が出現している。アニミズム紀行5で描いたキルティプールの終の棲家が登場して、スケールアップしている。これが、どうやって整理されてゆくのか、まだ自分でもわからない。

四月十七日の世田谷美術館のレクチャーのための準備で、一つ一ヶ月かけて、プロジェクトを作る事にしたので、そのプロセスを公開する事とした。公開を前提にした作業になるので仲々厳しいけれど、自分でも楽しんで取り組んでみる。
大きな画用紙他のキチンとした描きつける材料が手許にないので、先ず身の廻りを探して、とり敢えずは用紙らしきを探してみる事にする。
小さなダンボールをハサミで切り取って一片を得る。又、手頃と思われる桐の箱のフタが転がっていたのでこれを二片目とする。描く道具はクレパスの残りで始めてみよう。この材料で始めるので、極く極く自然に描くテーマは固めのモノとなる。以前、チリ計画で描いたモノがあって、それは気に入っていたのである。
ウーン、テーマは二年前の世田谷美術館でやり切れなかった「立ち上る伽藍」にしよう。あの気取りを取り去って、「新しい寺」とするか「聖堂計画」、むしろ、実現した猪苗代の「時間の倉庫」の発展形式にしてみるか。
クライアントが具体的に在るわけではないけれど、宗教施設に特定せず、場所が立ち上る、そんなイメージを描き始めてみる。濃い茶色のクレパスと、白いクレパスをチョイスして作業に入る。段ボールのテクスチャーには茶色が似合うだろう。桐の箱には白いクレパスを主調にしてみたい。
ボイドが主役の建築である。どう描き始めるか。頭をフル回転させる。
十時、二点描き終える。スタートとしてはこれで良し。「時間の倉庫」と北海道に実現した「水の神殿」が混合したモノを描いた。
工法としては水の神殿の、地球(大地)を型枠にしたシェルターとし、空間としては時間の倉庫をイメージした。住居にも、聖堂にも、レストランにもなるであろう。明日はこれにスケールを与える努力をしてみたい。
アトリエ海の佐々木さんが、土盛りを型枠に使った工事はまったく理にかなっていると、リアリストの眼、で言ってくれたのが、支えになっている。
そうだ、鳴子でトライした事をもう一度やってみるか、と考えた。鳴子はこけしづくりで有名である。しかし、そのこけしの売行は思うようにはいってない。わたくしが小学生の頃には何処の家に遊びにいっても飾り棚や、玄関のコーナにこけしや北海道の熊の木彫りなどが飾られてあったものだ。
旅の土産の典型だった。
しかし、東北への旅行はすでに土産を買う動機にはなり得ない。それぞれの家庭に飾られているのはヨーロッパの土産品であったり、タイの工芸品であったりする。
しかし、こけしをつくる人と技術と道具は残る。こけしづくりは絵付けが勝負だが、その以前の木工、ろくろ技術も立派なものだ。
以前、鳴子早稲田桟敷湯を設計した際に、実はそのドアノブづくりをコケシづくりにゆだねた事があった。我々がやったデザインはともかく立派なモノが出来た。それを、もう一度やってみる。階段の手すりや、様々に展開できる可能性もある。引き戸が幼児施設は多いから、引き戸用のレディメイドのとっ手の値段を先ずチェックしたい。
宮古島市渡真利島の中心の住居の設計はゆっくり楽しみながら進める。クライアントのN艇長も言うように、夢みるように、夢みることが人間の生命にとって、とてもリアルな事なのが、よく皆さん(諸者の)にも伝わるようにと考えている。
N艇長は言う。
「石山さん、夢みさせて下さいよ」
N艇長は複数の家らしきの所有者であるから、何を今更の家なんて必要じゃあない。昔は石原裕次郎のヨット友達で、マア、俗っぽく言えば世界の海に船を走らせた。裕次郎が亡くなり、その兄さんともヨットの仲間である。わたくしみたいな、典型的な中流家庭に育った根っからの中流人間には、いささかどころか随分まぶしい人なのだ。
しかし、何故だか知らぬが、巡り合わせとしか言い様が無いのだけれど、わたくしはそういうクライアントに良く出会うのである。幻庵のクライアント榎本基純は、そう言えばわたくしにこう言ったものである。
「ヨットを作るか、ゲストハウスを作るか迷ってたんですが、とりあえず、ゲストハウスにしようと決めました。石山さんの仕事が気に入らなかったら、もう一つ作ります。それはヨットになるかも知れません」
巡り合わせだなあ。
そうして、わたくしはN艇長に巡り会った。
今度は、もうヨットを乗りつぶして、楽しみ尽して、その果てに、陸に上って・・・の家なのだ。幻庵の榎本さんと同じように必要にせまられての家ではない。
一種の自己規制、あるいは社会性らしきの倫理からも完全に自由である。つまり、クライアントは自分で意識してはいないが極めて芸術家なのである。N艇長は、「よせやい、芸術家なんて、そんな貧乏臭いモンじゃあ、ありませんよ、ボクは」と言うだろうが、実ワ、そうだ。
だから、このプロジェクト、南島の無人島をひとつ、そのまんま家にする。この計画では、わたくしは徹底的にエンジニアとしての機能に徹してみよう、それしかないと決めている。だって、クライアントが芸術家なんだから、そうした方が良いのだ。つまり、技術の極北としての表現を目指す。
島全体のデザインから始めようとしている。当然、島中心にはN艇長の家があるのだが、それは最後のお楽しみである。北端に、ジャグジーで露天風呂を作れと言われている。日の出、日の入りを眺めながら、の楽しみを尽くしたいのだろう。その風呂の設計も水を得る方法、排水等考えれば、核家族の家の設計とは違う水準の困難さが当然ある。島は全部がサンゴ礁で出来ていて、一切その石を傷つけてはならぬのコードがかかっている。だから、ぜいたくきわまる風のジャグジー風呂、ブルータス趣味の快楽的商品生活風の愚も、エネルギー、生命維持としての水の問題から、厳しい枠が嵌められる。
この枠そのものの意識こそが、創作の源になるのであろうと考える。先ず、水をどう得るか、それを湯にするのにどれ程のエネルギーを要するか、N艇長は「当然、女と二人で入れるようにしてくれよ」なんて言ってるけど、一人でジャグジーするのだって容易じゃないのは知ってもらわなければならない。しかしながら変な楽しみもある。N艇長がわたくしとは全く違うタイプの「海の人」だからだ。昨年、渡真利さんの TIDA-again 号で何日かN艇長達と過したけれど、トイレの方式、キッチンの方式も陸の奴とはかなりちがうのを実感した。
富士嶺観音堂で試みた、屋根の全てを天水受けに、そして貯水槽と浄化槽の併設、ハイブリッド方式をコンパクトに集約すべきだろう。マア、N艇長がそれでも友人達とジャグジー風呂を楽しみたいと言い張るとしたら、充分その可能性はあるのだけれど、海水利用を考えなくてはならないだろう。
風呂あがりには、やっぱり水は飲みたい。生ビール飲みたいのなら自分で作ってもらうしかないかな。ここには生ビールの大ポッドのお届けサービスは期待できない。着ガエは皆、ここで湯水の一部を使って洗濯してもらう。そして、ここですぐに干す。
でも、先ずは、円環を中心とした家から、ここ迄歩いてくる途中に農園がいるだろう。その農園の運営維持のデザインを考える必要がある。
宮古島市渡真利島のN艇長の家だが、先ず第一に三千六百坪の島全体が家であり、すなわち建築であるというのが在る。それが無ければ考え抜くかいもない。それから、チリ、ゴミにまみれた概念を可能な限り振りたい。だから、計画する諸部分の名称から、先ずは用心したい。
三月十一日早朝の日記にも記したけれど、それでも自分の思考の持続性らしきも信じたい。それが無ければ昨日、先週、先月つまりは過去の時間の一切の意味がない。
だから、円環は赤裸々に残す。しかしながら、この円環に建築の様相を帯びさせるのはしないと決める。本当は宙に円環らしきが浮いているのが望ましいのだが、それじゃあキリスト教の天使やら聖人達の頭の上の円環になっちまうので、それは避けたい。宗教的イコンがイヤなのではない。キリスト教という一神教のイコンを避けたいからだ。かと言って仏教の諸像にも、背中に円環を背負っているのを視るが、仏教ならイイヤというわけでもない。何しろ、この円環の形に固執したいと考えるのは、どうしたって強いイコンらしきへの趣味であるのは確かな事なのであるが、その我執だけは極力、脱力させねばならない。
わたくしの個人的なキャリアの中で円環らしきが登場したのは、明らかに伊豆の長八美術館の内部に浮かせた細い照明器具取り付け用のメタルの円環であった。このアイディアは赤裸々にモスクの内部の近代的照明の模写であった。スケールは全く異なるけれど、イスタンブールのブルーモスクやアヤソフィアの内部の虚空に浮いている巨大な円環である。アレを模写した。で、長八美術館の二期工事だったレストラン、ミュージアム、ショップ用の入口前に、小さな金属の円環が浮く事になった。一期工事の内部が外へと反転したのである。
それから、円環は姿を消した。チャンスが無かったからだろう。忘れていたのでもあろう。それが、今度よみがえったのだ。これはこじつけではなく、不安だからこそ昔を振り返ったのである。伊豆の長八美術館の二期工事は圧倒的なイスラム様式への傾倒があった。大体、名称がカサ・エストレリータ(小さな星)だもの。作ってしばらくは、自分でも良く解らなかったけれど、二〇一〇年三月の今、渡真利島のN艇長の家を本格的に考え始めて、その円環の出自を推理小説もどきに探ってみたのである。
トライすると決めた円環の機能は天水受け、すなわち、雨除けとしての屋根を倒立させようと考えている。渡真利島は今は無人島であり、電気、水道、ガス、汚水処理の一切がない。願ってもないところである。エネルギーは自分で作る。汚物、汚水処理もクローズドにして外に垂れ流さない。
これは現在進行中の鬼沼計画でも考えてはいる事だが、渡真利島ではそれが必須なこととして求められている。
天水利用に関しては、私の世田谷村でも考えてはいたが、まだ決め手と金がなくて実行に移せないでいる。水車タービンを廻そうとは考えているが、残念ながら世田谷村ではその必須性が乏しい。水は井戸もあるし、水道だってあるのだから。要するに、せっぱつまっていない。
詩的な天水のあつかいとしては、早稲田の観音寺があり、実利的な事例としては富士嶺観音堂がある。ここでは詳述しない。
富士嶺観音堂では一枚の屋根に浮ける天水で、キッチン、トイレ他を全て機能させている。浄化槽も完全な循環形式である。富士山と比較して、宮古島は天水はより恵まれているから、充分に天水を高度に集約すれば人間が生きてゆくのには充二分である。つまり、円環を巨大な雨ドイとして考えれば良いのである。
天水すなわち天からの恵み。そして地球の生命の素である水の循環機能を形として表現できたら、実に嬉しいではないか。